代表プロフィール

私の一番の長所は「信頼感」「安心感」「責任力」です。

代表代表 田中 基幹 (タナカ モトキ)
京都市上京区生まれ (昭和30年9月24日生まれ)

京都府立朱雀高等学校普通科卒
龍谷大学法学部法律学科卒

大学卒業後 大手住宅メーカー 積水ハウス(株)で建築請負(住宅・店舗・医院併用住宅・事務所・倉庫・共同住宅など)宅地開発、不動産仲介、建売分譲、土地売却、土地購入、土地活用、定期借地権分譲、店舗開発、土地交換、借地見直し、等価交換、相続コンサルタントとして活動。

店長としての表彰経験、社長表彰等多数獲得

経験と実務を重ね、企業勤務を生かして独立

ファイナンシャルプランニングという考え方に感銘を受け本格的に学びながら、実務を行い相続対策、借金対策、事業承継、保険・ローンの見直し、セミナーなどを業務の中心として活動する。今までの実務経験と知識を生かした現実的な解決策提示を行う現場派FP。

特に保険、不動産を活用した相続対策、借金対策等の問題解決には数少ないエキスパートの1人として定評がある。

  • 個別相談
    個人客の他、自営業の経営者、大手企業や公的機関から委託された従業員・市民の相談を行っています。
    内容は生命保険の見直し、住宅相談、住宅ローン選び、ローンの借り換え、資産運用、相続相談、事業運営他
  • 講師
    2011.02セカンドライフと資産運用(主催 積和建設静岡株式会社)2009.12こんな時代に生き抜くために 40、50代向けの今から始めるマネープラン セカンドライフの生活設計(主催 富士市岩松北まちづくりセンター)2009.11こんな時代に生き抜くために 40、50代向けの今から始めるマネープラン 住宅ローンの基礎知識・相続の豆知識(主催 富士市岩松北まちづくりセンター)2009.02遺言セミナー 相続対策とセカンドライフ(主催 中央三井信託銀行・積水ハウス株式会社)2008.12セカンドライフの生活設計 相続・遺言(主催 富士市岩松北まちづくりセンター)
保有資格
  • CFP®(上級ファイナンシャルプランナー)日本FP協会 認定番号J-90172207
  • CFP®、CERTIFIED FINANCIAL PLANNER®、およびサーティファイド
  • ファイナンシャルプランナー®は、米国外においてはFinancial Planning Standards Board Ltd.(FPSB)の登録商標で、FPSBとのライセンス契約の下に、日本国内においてはNPO法人日本FP協会が商標の使用を認めています。
  • AFFILIATED FINANCIAL PLANNER®、アフィリエイテッド ファイナンシャルプランナー®は、NPO法人日本FP協会の登録商標です。
  • 1級ファイナンシャルプランニング技能士(厚生労働省認定)
  • 不動産コンサルティング技能登録(財団法人 不動産流通近代化センター)(4)第14998号
  • 宅地建物取引士(京都府知事) (京都)第006498号
  • 住宅ローンアドバイザー(金融検定協会)認定番号 3006504
  • 証券外務員2種
  • 円満相続遺言支援士(全国相続協会)
  • 競売不動産取引主任者(不動産競売流通協会)
  • ロングステイアドバイザー(財団法人 ロングステイ財団)
社会教育活動暦
  • 社会教育活動暦くらしのサポーター(静岡県くらし・環境部長)
  • ケースで学ぶ経営学(静岡県立大学)
  • 初級青少年指導員(富士市教育委員会)
  • 富士宮市相談員
  • 富士市岩松北まちづくりセンター セミナー講師
  • 富士FP友の会 会員
  • 日本FP協会静岡支部 会員 相談員
  • 富士市倫理法人会 幹事
趣味

以前は高校時代から乗っていたオートバイでした。会社に入社した3年後には、ホンダのナナハンを購入して乗っていましたが、10年間で5,000㎞ぐらいしか乗れませんでした。その後はオフロード250㏄を買い、山に行くことを目的にしていましたが、やはりの乗る機会がありません。又将来的はまた乗ってみたいと思っています。

次は旅行です。高校生のとき250CCのオートバイで四国一週を2週間行きました。大学のときは旅行会社の添乗員のバイトをしていましたので、北は北海道から南は沖縄、海外は台湾まで添乗の経験しています。修学旅行、職場・団体の慰安旅行、保険会社の招待旅行、旅行会社募集の団体旅行、スキーツアーなどかなりの数を経験しました。

個人の旅としては、大学生時代に沖縄に1ヶ月間、主にユースホステスを利用し、3年生のときにアメリカ・メキシコに2ヶ月のバックパッキングの旅も経験しております。会社に入社してからも休暇を利用してb旅行は行きました。4~5年前からは沖縄の風土や環境が好きになり、10日間程沖縄にロングステイをしました

主には沖縄本島から船に乗って離島に行き、シュノーケリングなどを楽しんでいます。これからはダイビンで潜りたいと思っていますが。

ロングステイアドバイザーの資格も取得しましたのでこの点ももっと詳しくなりたいと思います。他にはハイキング、温泉めぐりです。これは女房の影響を受けてたまに出かけています。今後ももっと時間を作っていろいろと出かけてみたいと考えています。
略歴
  • 生まれ 京都市上京区生まれ
  • 私立一条幼稚園卒
  • 京都市立聚楽小学校卒 (昔の聚楽第の跡地とか・・・1997年に閉校になりました。)
    近くの晴明神社にて、鼓笛隊を6年間やり続けました。最後は小太鼓、大太鼓を担当しました。京都で有名な時代祭りのようなもので時代祭りより規模を小さくした感じです。現在、晴明神社はパワースポットとして全国的に注目されているみようです。
    小学校6年のとき少年マガジンで募集していた大忍術映画ワタリの子役に応募し、見事4,000人の中から4人採用され、映画に出演しました。その後は役者の道を選ぶことも出来ましたが、家庭の事情で断念しました。少し残念だったことを覚えています。
  • 京都市立滋野中学校卒 (京都府庁の真ん前にあり、すぐ近くに京都御所があります。こちらも現在は廃校です。)
    中学時代3年間野球部として頑張りました。本当はあまり運動は得意な方ではありませんでしたが、この3年間の経験が後々、大変役に立ったと思っています。
  • 京都府立朱雀高等学校普通科卒 1年生のとき陸上部に入部しましたが、ただ半年で退部。経済的理由で、新聞配達を行うようになりました。
    高校生活の3年間は友人にも恵まれ、有意義な学生生活を送りました。オートバイにもいつも乗っていましたし、飲み会もよくありましたし、友達とはよく遊んでいました。 ただ高校時代の友達は殆どが浪人生になっています。
  • 予備校(1年間) 京都北山の「研学キャンパス」にて、一年間予備校に通っていました。最初予備校のパンフレットをもらいに行ったとき受付には綺麗な女性ばかりがいて、すぐに入学することを決めましたが(笑)、4月に授業が始まったとたん、受付の女性は全て変わっていました。(何か変です)
    予備校時代の友達とは現在も、4年に一回(オリンピックの年)に同窓会で会えるのをが、いつも楽しみにしています。高校時代の友達は割といい大学に合格しています。
    京都大学、滋賀大学、同志社大学、大阪医科大学等。私は大学受験をするための受験料捻出の為(当時は全部で20万円以上掛かったと思います)、アルバイトを年末していたこともありました。
  • 大学 大学受験は国立、私立と受けましたが国立は全滅、私学の龍谷大学法学部に合格しました(当時は弁護士がいいなあと思っていました)。入学後、日本拳法部に入部(武道系です)。
    1年間在籍していましたが、やはりアルバイトをしないといけなくなり、退部しました。その後時間的に楽な法律相談会龍法会に入部しましたが、ほとんどはアルバイトばかりです。
    旅館(本能寺会館)では修学旅行生への布団敷き、大掃除の手伝い、レストランのコック、ウエイター、バーのウエイター、引越しの手伝い、お歳暮の配達、うどん屋の店員、祇園祭の鉾引き、塾の講師、水道工事の助手、旅行会社の添乗員(これが一番長く3年)、海外添乗も経験しました。
    大学時代の友達ともよく遊びました。今も年に数回集まる機会があります。この学生時代の経験がこのあとの生き方にかなりの影響を与えたと思います。4年間で大学は無事卒業しました。
  • 就職 大変な就職難の時代でした。
    大学在学中は民法ゼミだったため、3年生の時に宅地建物取引主任者(現在の宅地建物取引士)の資格を取得しました。ということで、不動産業界、住宅業界、旅行業界?を受け、結果内定を貰ったのは住宅業界のみです。かなり、ショックではありましたが、気をとりなおして進路を決めました。
    卒業間近の2月に配属先の通知が来たのですが、それを見てかなりのショックを受けました。配属先が沼津営業所と書いてあります。沼津がどこにあるか分からず、日本地図を出して調べたほどです。
    私の母親は私以上に遠隔地の配属がかなりのショックだったようです。かなり落ち込んでいましたから。まあ、若いときは苦労してもいいだろうということで沼津に来ましたが、来てみて考えが間違っていたことに気が付いたのは、ずーっと後のことです。実はほぼ転勤のない会社だったのです。
  • 会社 入社後して沼津、三島地区担当となり住宅展示場にて来店客を中心に接客をしました。その他飛び込み営業もかなりの数を行いました。その頃は徒歩やバス等を利用しての営業周りでしたので大変でした。その年には新人賞を獲得しました。
    その後、分譲地担当、富士店、県企業局の建売企画、分譲などを担当し、三島、沼津、富士にて店長を経験し社長表彰、店長表彰、個人表彰を獲得しました。あのときは毎晩10時、11時というのがあたりまえでした。まあ、大変ではありましたが、いつも楽しく仕事をしていました。
    そのうちに私のお客様からいろいろな相談を受けることが多くなってきました。例えば、土地の活用、相続、家計の見直し、離婚、遺産分割、借地の解消、土地の交換などです。しかし、会社員の場合は会社の仕事の立場に立たざる得ないときが多くありました。
    2007年にFPの上級資格(CFP®)を取得した後は、セミナーの開催や個別相談を積極的に開催し、参加してきました。このFPの資格を取得したことがキッカケでしたが、お客様に公正・中立にアドバイスが出来、お役に立つ話ができるのは独立したFPでないと出来ないと思うようになって来ました。
    別会社に出向したときからは益々その思いは強くなり、その会社にてリフォームや一般建築の仕組みなども経験させてもらい、その後独立いたしました。
  • 結婚 1983年(昭和58年)9月 私が何時も行っている沼津のステーキハウス(実は牛丼屋さん)にて、そこのオーナーのママさんの紹介にて知り合い、1年半付き合って結婚しました。
    子供は3人、長男、次男、長女に恵まれました。上の男の子二人は年少の時からサッカー少年団に入り、長男は中学3年生まで、次男は高校3年生までサッカーをやり続けました。長女は中学の時はバスケット部でした。この後子供の教育資金についてFPとしての知識を生かせることになります。
    私学の理系の大学に決まった長男の時は、銀行から学資ローンを300万円借り入れしました。そして、2年生になってから日本学生支援機構から奨学金の借り入れをしました。国立の理系に行った次男も1年の時から奨学金を借り、専門学校に入学した長女も2年の時から奨学金を借り、それぞれが各自で生活できるようにさせていました。
    次男がイギリスに語学留学をしたいということで留学先の決定や費用、留学後の送金のやり方、連絡の取り方等私の仕事に必要なことを子供たちが次々と経験させてくれたことは、感謝することなのかもしれません。やはり、皆さんにアドバイスをするためには実際経験することが一番の強みだと思っています。
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